昭和47年7月30日 特別奉修委員 (末永信太郎)
・・・だから、その御理解を頂きながら、久富さんが頂いておられるのは、あの、百円札を裏の方から見たところ。裏から見ても百円札、表から見ても百円がつく。裏返しになっとるから、百円じゃないちゅうことじゃない。今朝から、いわゆる本当の信者じゃと、こう仰るのは、裏表のない信心だと思うですよね。
今日の、本当にあれもおかげであった、これもおかげであったと分かるようになるというだけではなくて、もう、その時点時点で、これはおかげと、こう言えれ、思えれるような信心は、ただ精進努力しただけじゃなくてからね、もう、言うならば裏表のない。言うなら、お広前におる時であろうが、お家に帰った時であろうが、やはり信心であるということがね、やはり基本になるもんだ、と。
と言うて、なら、そういう、例えば、あれもおかげであった、これもおかげであったと後で分かるというのじゃなくて、もう、その場でおかげと分かる信心ということが、もう、ここではいつも言われる訳なんですよね。いわゆる、もう、お徳の世界です。ね。
でないとね、でないと神様の願いと思われる、神願と思われる、例えば和賀心時代を本当に創って行こうといったようなことは、とても及びもつかないことですよね。ただご利益を頂きます、おかげを頂きます程度のことであったんでは。ね。今朝から、それもやはり、今日、佐田さんが頂いておられますように、もう、それは大変な高い山が、もう、たくさんな妊婦さんが入って、もう、そしてその、山をこう足、岩を壊して平地にしてね、ここにその、合楽天国が出来るという。
もう、そこにあの、佐田さんのお宅もあって、もう、それはもう、高い山ですから、その自動車でも道は出けてるけれども、一つ間違うたら、弾劾絶壁のところ。だから、ここでもう、曲り損ないどんすんなら、下に落てんならんが、と言うておられるところへ、もう、網でずうっとこう、言うならば、もうどんな大きな自動車が落ち込んでも、あの、壊れまいというようなね、もう、安心して通れるような網も半ば出けておるというようなお知らせであったちゅうんです。
だから、これは、けっきょく合楽で、今、私が、私はこれ最近、これはもう本当にね、私はそういうことのために生まれて来とると言うですかね。そういう、一つの使命感といったようなものを本当に感ずるんです、私は。ね。ただあの、お広前が大きゅうなって、たくさん人が助かるというだけじゃなくてね、そういう助かりと言うても、本当の意味においての助かり。
例えば、後からおかげじゃったと分かるようなこっじゃなくて、もう、その場で助かっとる信心、おかげ、と。ね。それには、やっぱり、なら、久富さんが頂いておられるように、裏もなからなければ、表もない。なら、表から見てもやっぱり百円札だなあ、あの人は、と。裏から見てもやはり金光様の信者じゃなあ、合楽に通いござる人じゃなというようなものがね、出け、これが先ず、根底になるものです。ね。
それから、なら、今日、朝頂くような御理解が、身に付いて来なければならんということになるのじゃないでしょうかね。どうぞ。